部活はミーティングのみの日で、珍しく全員で帰った。付き合いだしたばかりの佐野と浅丘を二人で帰らせようという魂胆があったのだが、部室に出たゴキブリの話で盛り上がりだしたら妙なテンションが発生してしまい、そのまま帰路につくはめになったのだ。こういう時、変な顔せず楽しく付き合い続けられる二人に、「あいつら付き合いだしてからトモダチヅキアイ悪くなったよなー」なんてやっかみの台詞は無関係だろう。事実、付き合いだしたとはいえ大した変化は見られなかったのだ、電車通学の彼女が、佐野の自転車の荷台へ当然のように乗るぐらいで。実に高校生らしくて清いおつき合いですねとちゃかしたら怒るだろうから止めておく。
「今は付き合いたての一番いい時期だからさ」
「そのうち佐野も男見せるって、むぐ」
「おーかーだー、おっ前はどうしてそういう…」
「何の話し?あ、男同士のきもい話し?」
「お前って馬鹿なくせして結構辛辣だよな」
夏の名残も冬の予兆も感じさせない秋の空、視界が夕焼けに着色され出す頃に二人と別れた。佐野は彼女の家の前まで送って行くので、いつもより少し遠回り。荷台で大きく手を振る浅丘がふいにバランスを崩しかけて持ち直す、「馬鹿かお前、ちゃんとつかまってねーと落とすぞ!」「佐野くんそんなに耐久力ないの!?」大声でのやりとりに苦笑しながら消えていく二人の背中を見送った。
「あいつらってさぁ」
帰り道に部活仲間が口にする。
「バカップルっていうかバカカップルだよな、何か」
「あー、分かるかも」
お互いのことは好きで好きで仕方ないはずなのに、相手の前で自分をつくったりせず自然体で付き合っていける間柄なのだ。それが世間一般の恋愛観点から見て良いのか悪いのかなど、まだ高校生の俺たちにははっきりさせることが出来ないけれど、見ていて安堵のようなものを感じることが出来るのだからとりあえずは安心だと思う。
何もないような凡庸な日々で、どこにでもあるような高校生の日常だとしても、その当たり前は酷く不安定なものを指す。多感という一言で片づけようとしてもうまくいかないような、自身の感情すら手探り状態の日常だ。それらを全部ひっくるめて、便利な一言、”青春”という一種の代名詞で飲み込んでしまおうとするのだ。心地よくないわけじゃないのに、どこかで壊してほしいと思う人間もいることだろう、けれど俺はそんなことを望まない。今が続けばそれでいい、今日のような明日が来ればそれでいいんだ、噛みしめるように思ったその翌日、携帯電話は長く鳴り、俺の願いを打ち砕いた。
休日の朝、部活も始まらない時間帯、母親への説明も不十分なまま家を飛び出した。自転車を漕ぐ。必死で漕ぐ。風を切る、ひんやりと冷たい。気付かないうちに冬の空気は迫ってきていたのだ、変わらないはずなんてない。
到着して自転車を投げ捨てるように降りる、がしゃんと派手な音が立ったが振り向かないで目的の建物へ走る。
階段を駆け上って、人にぶつからないように必死で避けながら廊下を走って、知った人影を捕捉。
彼は、こちらの姿を確認し、名前を呼んだ。
「……坂谷」
「っ、浅丘、は」
「…さっき、寝たとこ」

電話の相手は岡田だった。彼のいつもの明るい声とはうって変わって、随分と低いトーンで暗い話し方だった。気になってどうしたと尋ねてみれば、来てくれといきなり言われ、この病院の名前を続けられた。

「……本当に?」
「ああ」
「本当に?」
「…嘘ついてどーすんだよ」
「…ごめん」
やっと言葉が現実味を持った。病院って本当に白いんだなと思った。妙に声が響く。白い病室の前の椅子に座り、ぼうっと何かを待っている格好だった岡田。誰を待っていたのだろう、電話をした俺だろうか、それとも他のヤツにも電話をしてそいつを待っていたのだろうか、それとも。人ではなくて何か違うものをか、大切なものをか、逃げてしまったいなくなってしまった、今ここにないものを変えてくれる何かを、それそのものを待っていたのか、意味もなく途方もなく。常に自分の手で可能性を切り開いていく普段の彼から想像も出来ないことだけれど、今は待つことぐらいしか出来ない気がしてならない。
無力な自分を分かっているのに自転車を必死で漕いだ、何か出来るなんて思ったりしない、ただ心配で会いたくて何かの間違いだったと笑い飛ばしたくて、どこか現実逃避を求めながら闇雲に手足を動かした。冷たい風に撫でられた顔や手がやっと感覚を取り戻してくる。ゆるやかな生還。

「…佐野は」
「まだ、連絡してない」
「…する?」
「…オレ」
岡田は俯いて言った。
「…佐野に何て言えばいいのか、まだ頭整理出来ないや」
「…俺もだよ」
「聞いたら、佐野も辛いよな」
「うん」
「でも、聞かないわけにいかないよな」
「…うん」
「真実だもんな、しゃーないなんて思えないけど、言うしかないよな」
頷くだけして、隣に腰掛けた。泣き言を言いたくて仕方なかったけれど、言わなかった。休日の柔らかい日差しの差し込む白い世界で、壁一枚向こうの彼女が目を覚ますのを待つ。
浅丘晴季が事故に合った。彼女は僕らのことも両親のことも友達のことも、サッカー部のことも受験のことも、佐野のことも、忘れてしまった。
ああ神様。いつも信じないけど、今だけ信じるからどうにかしてくれないだろうか、再び目を開けたその時に、今を全て否定してくれたらいいのに。


世界が崩れるのは簡単且つ唐突である。