「三人とも無事合格しますように、よっし出来た」
「…字が汚い」
「寒いから歪んでるの!手がかじかんでるの!分かる!?これ!」
「…っさわんな!馬鹿がうつる!明日が面倒だ!」
「なにそれ!」
たかが絵馬ひとつ書くのに軽く一悶着。受験シーズンの今、遠目から見れば何の化け物の集合体だと言わんばかりの絵馬の数。その中にひとつ混ぜ、いつもより大分奮発して百円玉を投入、形ではあるけれども目を閉じて手を叩き、お祈り。
形式だけだと分かりつつもひとつ願い事を浮かべ、百円玉の価値ぐらいには叶えてほしいと念じて早々に目を開けた。坂谷もほぼ同じタイミングだったようで、目が合う。それは二人とも真ん中の人物を見たからだ。未だにむんむんと何か唱えるように祈っている浅丘を。
「……おい」
「んっ、よし!!」
声をかけると同時、全て祈り終わったというように目を開けて顔を上げる。

「…いいかお前、願って良いのは一つだけだからな」
「知ってるよ」
「じゃあ何でそんなに長い間祈ってんだ、電波送ってるみたいだったぞ」
「だから願い事ひとつにしたら長くなっちゃったの」
合格祈願じゃなかったのかこの馬鹿は。ため息を心の中でも外でも吐く。
「仕方ないでしょ、今年のお正月は私立の入試で行けなかったんだから、初詣」
「私立の入試はいけないのに県立の前日は行けるのかよ」
「お母さんが行かせてくれなかったの、勉強してないとお年玉やらないって言われた。」
「え、じゃあ今日出てきて大丈夫だったの?」
「うちの親、俗物的なものを信用するから、模試のあとだったし…」

なるほどと頷く。彼女の追い込み学習は結構なものだったのはある程度知っていたので納得。
勉強は常にしなくてはいけないよ、と言い聞かされて育ってきている俺達の世界は酷く面倒な世界だと思う。それによって成り立っていると言われれば返す言葉がないが、中学に入れば高校入試の話、きっと高校に入れば大学入試の話と続いていくのだろう。大学に入ったら入ったで、試験やら論文やらとまだ未知のものが広がっていて、就職をしたりその先の学習機関に進むためにまた勉強をしなくてはならなくて、仕事を始めたら始めたでその知識と経験を増やしていかなければいけない。人間は学ぶ生き物、いつだか聞いた言葉がこんなにもリアルなものだと時に思うとげんなりしてしまう。楽しいことであると同時に、やはり量が重なれば痛みだ。受験はそれを思い知る良い機会だったとでも言うべきか、まだ終わったわけではないのに妙な終息感。いやこれはまずいぞ、モチベーションは明日まで上げておかないとならない。

「お前大丈夫なの、証明のとこ」
「おっけ、ばっちし。佐野くんがうざいくらいにたたき込んでくれたからね、歴史と古典も坂谷くんがいたから大丈夫だったし」
そりゃよかったと笑う坂谷と反対、うざいは余計だと口にする。
「三人とも受かるといいねー」
「そうだねー」
「とりあえずお前がヘマしなきゃ大丈夫だろ、寝坊するとか」

家帰ったらもう寝るからいいよ、と言う。時計の針が示す時間は2時30分。明日の試験が何時からだか知っているのか。
「9時だよ」
「21時の9時じゃないからな、絶対そんな時間に学校に行くなよ、不審者だと間違えられるからな」
「佐野くん、死ぬほど失礼」
そんな憎まれ口が多かった時間の終わり、そのくせ頑張ろうねーなどと脳天気に笑って手を振る別れ際。緊張感のないヤツめと思ったが、それはそれで良いだろう、浅丘らしい。
バスに乗り込む二人を見送り、家路につく。意味もなくついたため息、冬の高い空は冷え冷えとした青。


つまり今と全く似ていないわけだ、空。秋の高い空、青、なのにどうしてだろう酷く温暖な青。圧倒的な差は、目の前にいる人間の所為だ、良くも悪くも。
「…私の方が先に言ったもん」
「いやお前教室で俺と坂谷が喋ってたの聞いてただろ、俺の方が先だ。」
「だってあれちゃんと言ってない」
「お前だって何かスパゲッティ好きだよーえー私ところてんの方が好きー、あ、別にスパゲッティが嫌いなんじゃないんだよ、ナポリタン大好きーみたいなノリだったろ」
「佐野くん、裏声きもいよ」
「うるせえ」
いつだったかこいつが熱弁していた内容を丸々思い出してみよう、再生してみよう。
少女漫画が嫌いだ、あのお約束の展開がどうしても好きになれない。目の中に大量の星を飼っている女の子(頭蓋骨を目玉に侵食されている)がパンをくわえて遅刻しかけて走っているとどこぞの美少年にぶつかり心臓ずっきゅーん、そしてその日に転入生は謎の美少年、委員会とか一緒になっちゃったり帰り道一緒になっちゃったり何かして告白したらクラスメートの前でその場でキッスーみたいな、ご都合主義がたまらなく嫌いなのだそうだ。俺は少女漫画を読んだことが当然の如くないので分からないが、世間に跋扈する少女漫画は皆食パンで遅刻なストーリーなのかと疑問も浮かんだ。しかしながらその手の話し、ということを伝えたかったのだろうと整理。あんな決まり切った型に入った恋愛ですむんだったら誰も苦労なんてしないやと言いながらタッチを読んで、「いいなぁいいなぁ、甲子園に連れて行ってよかっちゃん」とか何とか巫山戯たことをぬかしていたので、とっとと野球部へ行けと言ってやった。岡田の話によると、「ホイッスルとか読ませれば天皇杯に連れてってとか言う」らしいが、とにかく目の前のこいつが三年間サッカー部を続けていくのか不思議で不安だった。
彼女自身の恋愛の話など、中学時代から一度も聞いたことなどない。関わりを持った中三以前、風の噂か何かで名前ぐらい耳にしていたかもしれないが特に知り合いでもないのだ、右から左に流されていただろう。元々他人のそういう話に興味津々というタイプではなかったので尚更だ。浅丘という人間と知り合い、そういう感情を抱いてしまえば話は別で、
高校生になってからもそれは変わらず、一途と言われればその通りという様で生きてきた。他人がどうということに興味を持つよりは、むしろどうやったらうまいこと自身の感情を隠せるかに必死だった。
好きだと告げる気など更々無かった。彼女が自分を恋愛観点で見ているとは到底思いがたかったし、彼女から見ても自分はそうだろうと確信していた。無論周囲にもそう見えているのだろうと思っていた。坂谷は例外であるが。部活仲間、付き合いやすいクラスメートとして居てくれればそれで十分だと思っていたわけではない。踏みだそうとしなかっただけだ。好きだと思ったり近づきたいと思うたび、自分の中のシャッターは降りる。言おうとしていた言葉は喉で捕まり身体を逆走してしまう。捕まえているのは自分の中の弱い部分だということを分かっていたし、それが大半を占めていたのでどうしようもなかった。そう言い訳して、この関係がもち、馬鹿ばなしをして笑い合える間柄なら良かった。破壊するつもりなど毛頭なかった、それが寂しく悲しいとしても。
いつか彼女にも、好きだと思い思われる相手が出来るのだ、ごく近い将来のうちに。それは当たり前のことだとも理解。それでも踏み出せない自分に嫌悪。けれど今に満足だと言い聞かせて、”皆で楽しい”仲間”を保っていきたかったのも事実。
覚悟の上での生暖かさ、破壊したのは彼女。タイミングも唐突。
病気?耳を疑った、身体の芯の歯車が狂い出す音をきくことが出来た。もう止まれないのだって分かっていた、誤魔化して日常に戻ることは出来ないのだとも。
奇蹟のひとつも起きたっていいだろう、気付いたら走り出していた、手に入れた今も、

「そんでも好きだ、馬鹿みたいだね私」
「…お互い様だ」
「んー、何か今の自分きもい、少女漫画みたい」
「いいじゃん、お前一応少女だし」
「一応か」
「…いや、ちゃんと」
未だ疾走の中、神様の後ろ姿は見えたけれど、捕まえることなんて出来やしないしする必要もない、そう思った。
「へへ、今のしばらく忘れない」
吃驚した後に照れくさそうに笑うその言葉が嘘になる。
彼女が全てを忘れるのは、その一週間ほど後のはなし。


優しい前書きを、ありがとう神様