「ずっと聞きたかったことなんだけど」
「うん」
「坂谷くんって、裁縫で蛙作れるって本当?」

クラスの子に聞いたんだよ、と凄く真面目な顔でそんなことを言うものだから、思わず彼女の手を取った。うええと吃驚した声を上げるがお構いなし。ぎゅ、と握らせる。そっと開かれた彼女の小さな手のひらの上に新緑の色の布製蛙。我ながらファンシーな仕上がり。
「わー!」
玉留めすら満足に出来ない浅丘にはよほど感激物だったらしく、あらゆる角度から眺めたり触ったり跳ばす真似をさせてみたりしばらくいじくっていた。それあげる、欲しければだけど。そう言った時のあのきらきらした目を真似出来る人間をこれまで見たことがなかった自分に苦笑してしまいそうになる。それほどまでに、彼女は純粋に見える。

「うっはー、坂谷くんありがとう!!死ぬほど嬉しい!!わーい!!!」
「浅丘、蛙好きなの?」
「蛙っていうか、これが好き!!!すっごいね坂谷くんおかーさんみたいだ、もしかして雑巾縫えるの!?」
「玉留め教えてあげるよ今度」

えー、と不満を零しながら蛙に頬擦りする彼女の頬は赤くなっていて、それは寒さの所為なのだとすぐに分かる。三月に入り暦の上では春だなんて、昔の人はよく言ったものだ。暦の上ってどこの山のことだと聞いてきた過去の持ち主である浅丘、着込んでいる鼠色のダッフルコートのポケットから蛙をちょこりと出して遊んでいる。
彼女とは何でかんで小学生の頃からの知り合いだった。委員会か何かで一緒になったのが発端か、その頃はさほど親交があったわけでもないが互いを認識するぐらいの顔見知りではあって、中学は三年間連続で同じクラス。そして志望高校まで一緒という今に至る。事前の努力も随分あって、明日の試験にはある程度自信を持てるようになった試験前日。私立入試などもあって合格祈願のお参りに行っていないと突然気付いた、そんなことを言う浅丘からの電話はいきなりだった。
「合格頼みに神様のとこ行きませんか!」
あまりに直球だったので、電話に一瞬身構えた自分を自嘲気味に笑ってみせる心の中。皮肉ったものではなく、苦笑に近い。そんなはずないだろうと押さえ込み。
「今銀杏坂のコンビニのとこなのだけど」
自宅からそう遠くない場所を言われ、彼女の返事も聞かずに飛び出したのは言うまでもなく。外は寒い。走りながらコートをなおす。自分の姿を確認した時の彼女の表情を見て、コートがおかしくないだろうかともう一度確認してしまう。
明日に受験本番を控えているとは到底思いがたい行動だが、互いにそれが丁度いいのが何だか心地よい。
そんな空気のまま神社行きのバスを待つ。その間の会話の中に、ふと浮上した名前に無意識に何かを感じ取った。

「ほらさー、あの人は数学が得意だから受験期いい感じなんだよ、私数学からっきしだもん」
女々しいけれども数えること、彼女の口からその名が10回。譲りたくないところだけれどもまあ仕方ないだろうと決意とため息。感じ取ったものは微かな罪悪感。最近は三人でいることの心地良い環境を知ってしまったが故、それを二度炊きのぬるま湯だと知ってこそ、こうして二人で休日に会うことを、嬉しいとも罪悪感とも複雑な心境だと悟ってしまう。そして結局はそちらに逃げたわけだ、へっぴり腰、と笑ってやろう。

「佐野んち、近いから。電話したらすぐに来るよ、あいつ結構余裕なんだろーし」
嫌味をほんの少し込めてしまったけれど、このぐらいは許してほしい。弱者の一撃、どこぞのロックバンドじゃないけれど、よろしく神様。
そう念じて、電話ボックスに入る彼女の背中を見送った冬の日。
大量に貰ったカイロが暖かすぎて指がじんわりとした、寒さにかじかむ中の唯一の温度、くれたのは浅丘晴季、彼女。
一週間後の合否発表の日、コートのポケットに入ったまま冷たくなっていた。さっさと捨てればいいのに、もう使えないのだと取り残され、いつかの二人のようで寂しさと耳鳴りの共存。ハーモニーは美しくない、きこえない。


 本当は、