神様が逃げ出す音をきいたので、いくじなし野郎と叫んでみる。無論心の中で。

そうだ、神様と言えば受験の前日だ。ぎりぎりまで部活をしていた所為で入塾のタイミングに間に合わなかったことを理由に、冬期講習すらいかずに受験対策をしていた。そのため同塾同士がごそごそといく元旦の初参りなんてものも行かなかったし、初詣も家族に代わりに祈ってきてもらった。受験前日、押入をがさごそといじっていた父が手渡してきたお守りは中之嶽大国神社のお守りで、いわゆる野球御守(息子の所属部くらい覚えていろ)だったし、(しかもくたびれている。自分の高校時代のものだそうだ)母はそういうものに頼らずに実力よねーなどとクールぶっていた。(夕食の買い出しにトンカツ用の肉を買いに出かけていたのを知っていた、敢えて深く追求しない、中学生というのはそういう段階の意味では大人に近づいている)詮ずるところ、我が佐野家は神頼みにしようという気が随分と薄かったのだ。神様に頼むほど無謀な受験でもなかったので当然と言えば当然だったし、気にしようとも気にしてほしいとも思っていなかったのも理由のひとつ。
つまり、前日に必死でかきこまなくてはいけないぐらいに説破詰まってもいなかったわけだ。その日はいつもより軽く机に向かい、適度に切り上げ、何となくの時間を持て余すこと一時間弱、家の電話がけたたましい音を立てたのを覚えている。
その時俺は二階の自室に居たし、階下の電話機の横では弟がテレビを見ていたことを知っていたから、わざわざとりにいく必要もないだろうと暇対策続行。案の定、遠くの方で「はい、佐野ですー!」というテンションの高い、弟の対応声が聞こえる。相手が騒音だと耳を押さえてしまうのではないかと欠伸をしながら思ったが、ふいにその声が大きくなって自分を呼ぶものだから、欠伸は途中で噛み殺すはめになった。

「ねえ浅丘って人!女!!ねーちょっと、兄ちゃんの彼女!?」
「うるせえ!!ぜってーちげー!!」
浅丘、浅丘…ぐるぐると反芻させながら階段を下り、弟に一喝、彼が受話器を手で押さえていないことと保留ボタンが押されていないことに気付くのと浅丘を認識するのが全て同時。ため息も噛み殺す。

「…もしもし」
「あ、もしもし!佐野くん!?」
「…さっき電話に出たのも佐野くんです」
「あー、そっか!佐野くんちはみんな佐野くんだもんね!ごめんごめん!さっきの弟!?」
「んー、そう」
「そっかそっか!!声似てるけどテンションが似てないね!」
余計なお世話だと一言、笑い声ひとつ。
「あのねー、佐野くんは前日に勉強を玉子丼みたいにかきこむタイプ?」
は?と声を上げる前に、受話器の向こう側彼女の後ろで、「浅丘、お茶漬けって言った方が分かりやすくない?」とよく分からないフォローが聞こえて、それを友人と認識。
「坂谷?」
「あ、うんそう、坂谷くん!あのね、もしお茶漬けみたいにかきこまないタイプだったらね、今から坂谷くんと私と合格祈願のお参り行きませんかー?」
そうして、近くの神社の名前が付け足される。特に断る理由もなく、気付けば即答。

「いいよ、暇だから」
彼女だの何だのというの聞こえていなかったことに安堵。
こんな回想はどこへでもやってしまえばいいんだと思うけれど、ふと思い出すと記憶は止まらなくなったりする。
夏が過ぎたこの秋の風は、着実に季節の変わり目を意識させられる。そんな今は、この空間はあの季節に向かっているのだ。まだまだ寒い季節、三月とはいえ随分冷え込んでいたあの日。
数えれば出会ってまだ一年にも満たないのだと思うと不思議な気持ちになるけれど、時間というのは大した問題ではないらしい。例えば、人と人が仲良くなるためにかかる時間。よい例が俺の目の前、ついさっき見つけた浅丘と岡田は、高校入学が出会いの場だというのに、五月の終わる頃にはもうガリガリ君を半分ずつしあうような関係になっていた。つまりもの凄く仲が良かったわけで、実は生き別れの兄妹なんじゃないかと思ったり、そうだったらいいなと思ったり、つまりはその頃の自分は、恥ずかしながら彼に嫉妬していたわけだ。彼女と、浅丘晴季と特別仲の良い彼に。そして現在進行形、それが再びやって来た。
気まずい時間を回避するように走り出した彼女は、宿題忘れ祝一週間のお咎めを受けに行っていた岡田の所まで来たわけだ。辿りついたのが偶然だったにしろ故意だったにしろ。そして何かを話したに違いなく、解凍されたように少し柔らかくなったようにみえる表情。

「、浅丘!」
反射的に名前を呼べば、びくりと震える肩、そして恐る恐る振り向く。俺の姿を、完全に”佐野和也”認識した。そしてこちらが一歩踏み出した瞬間、弾けたように走り出す、逃げる方向へだ、間違いなく逃避。
「岡田くんまたあとでね!焼きそばパンひとつあげる!!」
「おーう」
再び脱兎の彼女に向かって、にこにこ笑って手を振る岡田を後目に、軽く傷付いたとため息をひとつ。吐くと同時に追いかける。

「…っ、お前の焼きそばパンはとっくに坂谷が喰ったー!!」
「うっそー!!私2つ買ったもんー!!」
わけの分からない鬼ごっこの背中に、がんばれーとまた声が後ろ押し。明るい、それに振り向く余裕はなく、返答する余裕もない。けれど思ったことは、坂谷然り岡田然り、愉快な話の一環だと思っている可能性は否めないだろうなと。

「待ちやがれクソマネジー!!」
「ちくしょー!!やーきーそーばーパーン!!」
疾走、疾走、疾走。いくらくり返しても、神様には未だに追いつけない。


青春は突っ走ることですよ