浅丘の事故後の初登校は、葬式から十日後の、すっきりとした秋晴れの日だった。十一月になり、冷気もしっかり目を覚ましたようで、凛と張りつめた空気は涼しいというよりは寒いというサイド。冬が近いことを思い知らされる。
こんな気温の変化が疲れに重なったのだろう、葬式の次の日あたりから体調を崩した浅丘の入院期間は、予定より一日伸びた。しかし検査でも特に術後の疾患などは見受けられなく、少々遅れたがきちんと退院することが出来た。
お約束のように、無理をしないようにと退院時には医師からの言葉と、定期診察の確認があったそうだ。
少しずつ周囲に溶け込んできたとはいえ、以前通っていた学校の名前すら忘れてしまった彼女が、今まで通りに通学するのは難しいのではないか。ゆっくり自宅療養でも構わないだろうし、病院附属の患者用学校に通っても良いだろう。彼女に関わる大人たちの専らの意見はこんな所。事実、それは結構正論をついている。道のりなんてものには簡単に慣れることが出来るだろうけれど、学校という空間は一種の特殊を持っている。生徒達が彼女を興味という目で見てしまうことを完全に押さえることなど出来ないし、彼女の周辺が、どういう形で受け入れるかも分からない。それは事故以前の彼女の友人達然り。
社会的な知識は忘れていないから、授業についていけないという心配こそとりあえずないのだけれど、明るく振る舞っているとは言え、まだ精神的にも肉体的にも不安定でおかしくない彼女を日常に引っ張り出すことに賛成しないのは大人の冷静且つ平面的な考え方だ、もっともだ。
片や浅丘本人の主張は、早く記憶が取り戻したいという頑な。
俺は記憶喪失になったことがないので分からないけれど、それは凄く怖いものなのだと思う。現実味のない現実は、どのように見えているのか。そう思っただけでもぞくりとする。
早く自分という形を戻したいと、はっきりさせたいと願うのは当然のことだろう。
そして同時に、怖い。事故の悲惨さを知っているから、自分の忘れている両親の死を知っているから、思い出すことはきっと怖い。凄く怖い。
彼女は強い、そう思った。懸命に思い出そうと、弱音を吐かない彼女は、強いと思った。
それと同時に、彼女より随分と弱っちい奴の存在が、正直鬱陶しくて仕方ない。

「佐野―、今日放課後浅丘部活来るってー」
「おー」
「本人から聞いた?」
「あー…なんかメール来てたかも」
「…ちゃんと返した?」
「何て返したらいいかわかんねーじゃん」
こいつだ。
「お前さー、」
「次体育だけど、着替えねーの?」
「…別に、いいんだけどさー」
「はぁ?」
「よくないから言ってんだけどさ」
「…お前よくわかんねえぞ?保健室いくか?」
「うざい」
「…なんかキャラ変わってね?」
「…いいけどね、俺赤組でお前白組だから、バスケで思いっきり顔にぶつけてやるから」
「犯罪予告」
あれ以来の佐野和也はこんな感じだ。
困惑してしまうのも分かる。けれどそんなの皆共通のことだ。そしてそれを本人が理解しているのも分かっている。
浅丘晴季に、佐野と付き合っていたのだと告げたのは俺だ。彼女の学校生活での話をする時に、夏大の頃に撮ったサッカー部の写真を見せて一人一人メンバーやらエピソードやら説明していて。俺が言った。彼女が一瞬目を見開いて、ふと写真の中に飛んでいってしまって、すぐ困惑した表情を浮かべた様を見て、後悔した気持ちも嘘じゃない。
そっか、私は好きだった人のことすら、覚えていないんだ。
早く思い出すね、と常に元気でいようとしていた彼女が、くっきり表に出した、あからさまか寂しさと悲しみ。こんなに辛そうな顔をさせてしまうなら、彼女を傷つけてしまったなら、言うんじゃなかったと思った。だけど、懸命に思い出そうとリハビリに治療に励む彼女を見ていたら、仕方のなかったことかもしれないとも感じた。自分のしたことが良い行いだとか悪い行いだとかいうことは判断し難い。自分の行動は正解だったかどうか、全くもって分からない。ただ、彼女が佐野を思い出さないままという現実は、妙に悲しいと思えてならなかった。
言ってしまったものは引き返せない。
佐野が未だ彼女を好きでいるということは容易に分かったし、その所為で更に情けない男になってしまっているのも分かっている。しかし、そのへっぴり腰が、もの凄くむかつく。
助言なんてしてやらない、自分でどうにかしろ。
浅丘に早く幸せになってもらいたいと思うが故、彼女に為にしてやれることは、叶うことなら何だってしてやりたい。
だけど、佐野を馬鹿にしてもいられない事実。自分にはいまいち、彼女の本当の幸せが分からない。


模索する。見つからない。模索する。見つからない。