中学生の頃の学ランは、最後に来た日からまだ半年ほどしかたっていないというのに、ちょっときつくなっていた。成長期は未だ続いているのだと僅かに安堵。
高校生になった今現在の制服はブレザーなので、喪服の代用品にするにはこれを引っ張り出してくるしかなかったのだ。母親が綺麗に保管しておいてくれたのは有難いが、もうしばらく着ないだろうとしまい込んでいたものであるが故、防虫剤のにおいが気になった。それを母に告げたら、あらあらと言いながら、スプレー型の消臭剤を吹きかけられた。無論室内用兼衣服用ではあったのだけれど、逆にこの香りが気になって仕方なくなりげんなりした。
浅丘の両親の葬儀場は、以前通っていた中学校の近くだった。坂谷と待ち合わせをして歩いている途中、車で来ていた砂倉先輩に会い、会場まで乗せて行ってもらった。乗っていきなよと明るい声で呼んでくれた砂倉先輩の母親は、主将の母というだけあって、今まで部活で幾度も顔を会わせている。目元が彼にそっくりで、愛想も良い。人間味が溢れていて、よく差し入れなどもしてくれる。
いつものように親切にしてはくれたけれど、やはりその顔にも影があった。先輩から、浅丘本人のことを聞いているのだろう。冷たくなったご時世、「他人のことは所詮他人のこと」などと囁かれる時代だが、近い人間の親族が死ぬということは、やっぱり悲しいのだ。

「晴季ちゃん、具合はどうなの?」
「昨日と今日、一時退院貰ってるみたいです。手術の方はすぐ成功したけど、経過をみたいからまだ一週間くらいは入院らしいです」

坂谷が答える。そう、と返事をした彼女の表情が、また沈むのがミラー越しに分かった。
夏の大会の時期をはじめとし、父母会として何かと世話を焼いてくれた彼女と、マネージャーである浅丘にはそれなりに繋がりがある。浅丘は一生懸命に仕事をしたし、屈託無く人と接する奴だったから、父母会での評判もよいのだと母が言っていたのを思い出す。会場についてからもそれは証明され、父母会の彼らが集まっている場所では、しきりに浅丘を心配する声があがっていた。

「…居眠り運転のトラック」
挨拶をして砂倉家の車から降りた時、先輩がぼそりと呟いたのを聞いた。
「そんなステレオタイプな事故なんて、映画の中だけだと思ってたよ」
「……っすよね」
「…浅丘はさ、忘れてるんだろ?」
「……」
「全部」
「…はい」
長身な彼の目を見るには、少し視線を上げなければならない。物優しげな瞳が、黒い縁眼鏡の奥で悲しそうにしているのがすぐに読みとれる。
「…覚えていない両親の葬式に出るって、どういう気持ちなんだろ。悲しいはずなのに、絶対に、凄く悲しいはずなのに、自分はその人達のことを覚えていないんだ、それって、」
遠くで先輩の名前を呼びながら手を振っている数名が見える。サッカー部の先輩陣だろう。先輩は手を振り替えし、坂谷と俺は会釈を向ける。

「どういう種類の、悲しい、なのかな」
去っていく後ろ姿を見ながら、そんなの理解出来たら苦しまないのにと、誰に当ててもいない言葉を内側に吐いた。無音なはずなのにため息も出た。

「あ、岡田」
ふと、建物の中から出てきた人影を指さして坂谷が言う。確かにそれは岡田で、こちらに気付いた彼は手を振りながら小走りでやって来た。
「もう来てたんだ、早いね」
坂谷や俺と同様、岡田も中学時代の学ランを着込んでいた。まださほど伸びていない背丈や、幼さの残る顔つきが故か、中学生だと言われても何ら違和感がない。
何の証拠もないけれど、浅丘に会っていたのだろうな、と直感的に悟る。
「浅丘は?」
「中にいる、もうすぐ始まるみたいだから、チョクゼンジュンビなんだって、追い出された」
「具合、良さそう?」
「まー、いきなりぶっ倒れたりはしなそうだよ、飯もちゃんと食ってたし!」
事故後の数日間、岡田は浅丘の元をよく訪れているようだった。今日も、夕方からの葬儀のために昼頃から居たらしい。彼女の状態が状態だから、親戚もヤツの侵入に気が甘い。
変に気を遣ってしまう相手より、岡田のように屈託無く接せる人間の方が、今の彼女にとっては傍にあるべき人間なのかもしれない。または、坂谷のように思いやり気遣えるような人間が。
少なくとも、自分が傍にいてやって出来ることなどひとつもない気がする。さり気ない心遣いや、全てを気にしないように振る舞う明るさを、自分が持っているとは到底思えない。
記憶を失ってしまっていても、浅丘は浅丘だ。俺の好きなままだ、外見とか声とかではなく、両親もなくし記憶もなくし、それでも懸命に回復しようとしている姿も全て愛しいと思える。だけどそれをうまく伝えられる自信がない。彼女は何も覚えていない。自分が俺のことを好き、で、いたということも、何も。あの時の言い草からして、坂谷か岡田に、付き合っていたということは聞かされているのだろうが、それだって他人から与えられた”知識”なのであって、決して彼女自身の”感情”ではなかった。
思い出すからと言ってくれた時の気持ちは、寂しさばかりが重くて、笑ってやれなかった、不甲斐なさに吐きそうだ、それでも。それでも、どうしても、自分はまだ彼女を好きだと思ってしまう。良いことなのか悪いことなのか。理屈がない、それほどまでに大きな感情と言えれば格好いいけれど、そういうよりは、あの頃の感情自体が、既に説明をつけられるものではなかった。人を好きになるのは理屈じゃない、なんて、漫画みたいな台詞が反芻してしまう。
全てを忘れていると分かっても、葬儀場で遺族席に座る彼女を見れば、今すぐ駆け寄っていきたいと思うのだ。自分に何も出来ないと分かり、悟りきったふりをしているただの駄目な奴の、内なる情動であるにしろ。
目が合った時、弱々しく微笑む姿も全部だ、全部。これは同情なんかじゃない。記憶を無くしてしまったことに絶望することに対する憐れみでもない、気持ちは全然離れていない。俺自身の、ちゃんと確立した”感情”だ。
誰よりも強く、力になってやりたいと、何かしてやりたいと思うのに。
何も出来ずにただ焼香を済ませ席につく、そんな自分が歯痒くて仕方ない。大嫌いだ、畜生。


出来ないなんて決めつけるな、誰かが言う。じゃあ何が出来るのか教えて貰いたい、今は切だ。